そのとき、山の端から悪魔の手が伸びてきた。手は僕をつかんでは決して離さない。やめろやめろやめろぉ、僕は叫んだが全く効果は無かった。幾年間もの間、僕はこれを避けるためだけに必死になっていたのに、すべてが無駄になった右手の中指を失ってまで備えていたのに。
悪魔の手は僕に語る。「おまえはまだここにいるべきだ」と。一体何の根拠にそれを言っているのか。いったい僕の何を知ってそれを言うのか。僕をこの、木と落ち葉しかないこの空間――葦のない家――に縛り付けることが、どうせお前らのその嗜虐性を満足させるからだろう。全く僕という人間の個人意識は考慮に入れていない。死ね。
そうならば、いっそ僕の目をつぶせよ。僕の腕を折れよ。僕の足を切れよ。僕の耳を削げよ。僕の鼻を詰めろよ。僕の舌を抜けよ。僕の脳を、脳を、山であるお前のその身体に無残に散らせよ。生半可に抵抗できそうな力を残して、そして飼い殺しなんてもう地獄よりひどい。それだ苦しむ僕を見て、お前らはその嗜虐性をやはり満足させたいのだろ。俺には分かるんだよ。しょうがないから恭順の形をみせてはいるが、腹の中では腐りに腐り尽くして原型も留めていないそんな思いが、僕の脳髄を犯してもなお存在しているんだ。生きているのにね。これじゃ生き腐れイキグサレだ。
見えない檻の格子を両手で掴み、僕はガシンガシンと揺さぶる。だから腕を折れと言ったのだしかし、たとえ僕がここから抜け出し、悪魔を山を殺そうとしたとしても、僕は寸でのところでためらってしまい、そのスキを突かれて逆に殺されてしまうのだろう。僕にはわかる、わかるのがたまらなく憎い。僕は突破者には超越者にはなれない。なんて情けない人なのだろう。
そんな僕は超越者、諸々のしがらみを己の力をもって取り払える人間を憎んでしまう。醜い感情だっては僕が一番知っている。しかし、この全身から湧き出るルサンチマンをどうして止められようか。僕を見て、根性なしだと叱る人がいる。惨めな奴だと嘲笑する人がいる。だが誰一人として、この思いを止める方法を教えてくれやしない。どうだ醜いだろ! 活きている価値なんてないだろ! 早く死ねばいいと思うだろ! そうだよどいつもこいつも勝手にそう思うだけで後はほったらかしさ。
孤独なんだよ。
誰も僕を省みない。いや、山と悪魔は省みるか。ハハハ、僕は僕を傷つけんとする者にしか見えないのだろうか。永久にサンドバックであればいい。
超越者と成れた人はその力をどこから手に入れたのだろうか。教えろよ! 自分ばかりいい気になって! くそぅ……
やはり、その力は自己生成する以外にないのだろうか。僕にそのポテンシャルはあるのか。やってみなきゃわかんないって、こうやって起きて胴を立たせているだけで精いっぱいな状態なのにさ、さらにそんな博打を打つ余裕なんてないんだよ。生きているだけでいっぱいいっぱいだが、ただ生きているだけの状態では僕はとても生きていけないんだ。
ああ人はなんて不平等なんだろう。努力すれば叶う、努力する前にそういっている奴はただのいくじなしだ、たとえ努力の末夢自体は叶えられなくても他に大切なものを手に入れられる、と語ってくる奴は僕の身の回りにもたくさんいる。しかしあなたたちよ、そう言えるのはあなたたちが既に、努力すれば手が届く位置に最初からいて得しているからではないか。自分では気づかないだけだ、あなたたちは生まれながらに優位なんだ。努力で乗り越えられる壁しかない。努力すれば、って、全身麻痺の少年少女にも同じことが言えるのか! 例えば少年少女が、健常者のように走りたいと夢見たとしよう。なんかしら努力したとしても、絶対走れるようにはならないだろ。その時彼らは、嗚呼僕は私は自由に走ることもできないクズなんだと、枕を濡らして寝るしかないのだ。それでも人は平等と言うのか? いや走れるようにはならないが大切なものは学べるだろうって、なんだクズはクズに用意されたものでまんぞくしろっていうのか!?
呆れるならば呆れればよい。僕は自分では何もできない存在だって認めてやろう、その代り自分の子の境遇を他人のせい、社会のせい、世界のせいにしてやるんだ、僕の気のすむまでずーっとずっと!
そうして僕は、己は何の力も持たない存在と化した。ただ人の形をした物体だ。そう、人形だ。人形の中でも、一番なされるがままの、一番情けない存在の、ラブドールとなった。情けない僕は、自分では一切の抵抗もできぬまま、毎日毎日臭い中年親父に抱かれている。