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2007年

4月

福島市立渡利中学校入学

 

10月

YOUTUBEでポケモンバグ動画を探している最中に「ポケモンでコンビニ」を見つける。以後ブリーフ&トランクスおよびコミックソング好きとなる

この頃くらいに祖父から「銃夢」(木城ゆきとの名作漫画)をブックオフで買ってきてくれたら売値の二倍の値で買い取る(昔読んで以来気になっていたらしい)と言われ、ノリノリでブックオフを巡る。集めているうちに自分も銃夢が好きになり、後の自分の絵のスチームパンク要素に多大な影響を与える。そして古本屋巡りも趣味になる。友人のクマ氏と、多い時には週3で、福島のブックオフ5店舗&ブックマーケット1店舗(&後からできた万代書店(現在は万SAI堂)とTUTAYA南福島店)を一日、それも午後から夕飯の間に回ることもあった。

せどりの情報を調べていると、「つげ義春」なる人物の名前がよくでてくるのに気付く。それでよくよく調べてみると、「ガロ系」なる漫画のくくりがあるのを知る。以前から読んでいたしりあがり寿や内田春菊や丸尾末広が、そのガロ系にあたることにそこで初めて知り、自分はガロ系漫画好きもといサブカル好きなのに気付く。

 

 

 

2008年

7,8月

夏季講習に行っていた塾が、真夏でも鳥肌になるほどにクーラーをガンガンつけるとこで、毎日非常に寒い思いをする(動き回って汗だくな講師に合わせているかららしい)。その反動でか、気温が高い場所に快感を覚えるようになる。自宅にいるときなんかは、盆地だというのに窓を閉め切って、高温高湿度の部屋にこもってああ快適、とかやっていた。それ以降、暑さにはめっぽう強いが寒さにはもんのすごく弱い体質となる。

 

10月

せどりを知る。ブックオフで稀覯本を買ってきて、ブックオフよりは本の価値がわかっている&高く買い取ってくれる万代書店に売る計画を立てる。そうやってサンコミックや藤子不二雄ランドの本をちょこちょこ集めているうちに、その古本自体に愛着がわいてしまう。以後古本マニアに。

 

 

2009年

4月

クラスの男女でカラオケに行く。友人らと行くカラオケはそれが初めて。マジンガーZやたまの「サヨナラ人類」を熱唱。以後カラオケに大ハマり。多い時には週3で行く。しかもその多くがクマ氏や上記のカラオケの時にもいたハルキと、二人っきりでフリータイム間ずっと歌い続けるものだった。

 

6月

この頃には部活も引退となり、かなり自由の身に。焚火を頻繁に、しかも夜通しのをやっていた。真っ暗ななか煌々と燃え上がる焚火は、それはそれは温まるものだ。

 

7月

これは昼間だが、クラスの男子らの多くが集まって焚火をする。だが火がなかなかつかない。木々にS氏が持ってきたジッポオイルをぶっかけて無理やり火を起こす。肉が単に生焼けだったのか、やはりそんな気化したオイルのかかった肉を食べたからか、それはわからないがI氏が翌日の学校を休む。

 

1月

学校の教師どもが酷い(その評価は今でも変わっていない)ので、学年集会の日にクラス集団で学校を休もうと計画が立つ。結果クラスの男子生徒の多く、女子生徒の何人かもそれに賛同して休んだ。私の家は、風邪なんて言ったらすぐ病院に連れていかれるようなところだったので、普通に家を出る→学校には行かずH氏の家に向かう→H氏に親のふりして欠席の電話をいれてもらう、という方法をとった。

それはうまくいき、さぁH氏の家で学校終わりの日までゆっくりしようとした時に、H氏の祖母がH氏の具合を見に来ると電話が入った。しょうがないので、祖母が帰るまでH宅の庭の物置に隠れることに。暇だろうと、H氏がエロ本を何冊も渡してくれた。しかし物置の中でムラムラしたとこでそこで処理することもできないので、逆に辛かった。

その祖母が帰ったのは正午だった。二人で昼食を食べることにした。私は昨晩こっそり握ってきたドデカおにぎりと、H宅の残り物の味噌汁を食べた。なんの話の流れか、H氏のAVを流しながら昼食を食べようと、オカズをオカズにしようということになった。AV女優がカメラに向かってオナって潮を噴く映像を見ながらのおにぎりは、すごくまずかった。

時間となり家に帰ったら、今日何処にいたと執拗に両親に問いただされた。なんでも担任から直接電話が来たとか。残念ながらそれにどう答えたかは覚えていない。そして後日、その電話は休んだ全員に来たものでなく、私含む要注意人物3,4人にのみかけられたものだということがわかる。

まぁ自分達も自分達だが、教師側も担任含む学年団全員が、生徒からの信頼がすごく薄い(高校受験期だとしても)ような人達だった。だからこんなストライキまがいのことを中学生にやられるんだよ。

 

2月

地元の私立高校の受験。都会と違い、田舎じゃ私立はすべり止めとして使われるのが大半。なので私も友人らもすごくなめて受験する。その日は雪がどかんと降った日だった。受験後、問題の見直しなんかすることなく、S氏の家に皆で行って麻雀をする。受験問題は全く覚えていないが、積もった雪をずぼずぼ踏んで皆で歩いてS氏の家に行くあのウキウキは今でも鮮明に思い出される。

そして、無事その私立高校は受かる。

 

3月

10日 後に入学する福島東高校を受験する。前に教卓があって、黒板から見てそのすぐ左側の席だった。正直、高校受験は受かるだろうという自信しかなかったので、そんな席にもかかわらず消しゴムのカスを練って遊ぶ。そしてその姿を試験官にばっちり見られてしまう。そういや素行の悪さで落とされることもあるのだなと思い出し、少しビビる。まぁテストは簡単だった。

 

11日 中学校の卒業式。その打ち上げとして、南福島のビッグボーイにクラスの男らで行く。そこで東日本大震災に遭う。

    東日本大震災に関しての特別記事はこちら(注 人によっては不謹慎と感じる描写、具体的には震災をもネタにしてしまうギャグ描写があります)

 

4月

1日 深夜焚火。そこにガス缶を二つ同時に突っ込む。それ以前からもガス缶行為はやっていたが、その日はやたら興奮する。それまでは「こっち」とか「自分」とか半分冗談で「儂」とかはたまた言わない会話に徹するか、兎角一人称が決まらない私が、ガス缶爆発で気持ちが高ぶったからか初めて「俺」を口に出す。これを記念? して以降主力一人称に「俺」を採用する。

 

 

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