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花咲ける八畳ブログ

読了「ディア・マイ・マム」

 「ディア・マイ・マム」( ゆらり/伊吹酒造(21) )を読んだ。

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 このゆらりさんは、大学の友人であり少ないリアル世界での東方仲間である。ロシア語の授業ではいつも、彼が一列目に座り私がそのすぐ真後ろの二列目に座っている。真ん前のそんな席だから全く気が抜けない。しかしそれが逆に、私をなんとかロシア語にしがみつかせてくれる要因ともなっている。いやぁ中学の英語からわかってはいたが、俺は日本語以外駄目だね。単語が脳に入っていかない。私の脳は日本語で止まっていて、外国語に仕様変更ができていない。あああああ。ロシア語はねぇ、私はロシア構成主義が好きで(どんなかんじのものなのかは「ソ連 ポスター」で検索してもらえればわかる)それにしたのだがな。ロシア文化とロシア語は違うんだなって思った。そんな状態だから、あの席でなかったら今どうなっていたかわからない。おお桑原桑原。

 そんなわけでございまして、先日の秋期例大祭で発行された「ディア・マイ・マム」を彼から借りて読んだ。

 萃香クラスタとして業界に名をはせているゆらりさんですから、この同人小説も勿論主人公が伊吹萃香。この小説、テーマが「家族」だ。ネタバレにならない程度に話すと、いつものように博麗神社に集まった少女たちが自分の親の話になる。そこで萃香も自分の親について振り返ろうとしたら、親の記憶が自分にはないことにそこで初めて気づく。なぜ自分には親の記憶がないのか、そしてなぜ今の今までそのことに気付かなかったのか……萃香はぞの謎を解明しに走る。という感じだ。

 今、柳家喬太郎の落語CD(しかも「すみれ荘201号」)聴いているもんだから度々手が止まってしまう。

 真面目に書こう。カセットの中身が志ん生の火焔太鼓だってさ。真面目に書こう。

萃香に限らず、東方の少女の殆どがその親に関しては言及されていない(アリス、魔理沙ぐらいか。妖夢は祖父だし)。サザエさん時空の幻想郷では始祖となる母はいらないのだ。事象が起こってもそれは総て時空の一部として吸収され時間を進めることはない。母を見つけようとする行為は、過去に矢印を伸ばすことによって時空を破ることになる。変わることのないであろう幻想少女たちの、その変わることのないであろう今の状態へと変わる前を描くわけだから、ともすれば均衡が崩れてそれは酷いこととなってしまう危険性を孕んでいる。

 しかしその無限ループの外に手を出した今作は、終始見事なバランスを保ってそのままエンドまでたどり着くことができた。そして探求という過去への旅から戻った萃香はまた、彼女の住むサザエさん時空へと無事戻った。外に1を取りに行ってそれを元居たところに持ち帰ってくるがしかし持ってきた1は取り込まれすべてはもとの通り0に帰着する。

 きれいな流れだなぁ、って思ったのがこの本を読んでの全体的な感想だ。それはすべて彼の萃香愛故の賜物だろう。こうしっかり腰を据えて同人小説を読んだことは」今までなかったのだが、初めての体験が本書であったことは幸福であると言えよう。

 ゆらりさんにはこれからも書いてほしいと私は思う。

 俺も次の例大祭用の原稿つくらないとなぁ。 

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